開基百年記念「桔梗沿革誌」(22)第二章 桔梗村の産業 産業の推移◎ 第三節 中の沢開拓農業協同組合画像はクリックして拡大できます 横津の山麓、函館をはるかに望む中の沢地区は、もと々園田牧場の荒廃地だった。終戦を迎えた軍人は続々故郷へ帰ってきたが、狭い
開拓
西桔梗・福田和助翁記念之碑探訪
「桔梗沿革誌・三軒家の開拓」での偉業を讃えた福田和助翁記念碑福田和助翁記念之碑は写真奥赤い鳥居の右奥にある画像はクリックして拡大できます 「桔梗沿革誌・三軒家の開拓」で福田和助翁の開拓における偉業とその徳を讃えた記念碑の存在を知り早速探してみた。 その
開基百年記念「桔梗沿革誌」(11)第二節 三軒家の開拓
画像はクリックして拡大できます 第二節 三 軒 家 の 開 拓 本村の穀倉地帯といわれている三軒家、その名の如く明治十七年秋田県釋迦内村から福田和助(嘉永四年生れ)が、翌年親戚関係にあった福田作助、福田幸吉が北海道にあこがれて渡道され、道南の
開基百年記念「桔梗沿革誌」(9)第五項 比 遅 里 神 社 桔梗村地名の由来
画像はクリックして拡大できます 第五項 比 遅 里 神 社 比遅里神社は安政五年(1858年)の創立で、神体は聖徳太子の絹絵図であって神体の出所は現在も不明であるが、おそらくは東本願寺であろうと言われている。 毎年九月二日宵宮祭、三日に本祭を行ってい
開基百年記念「桔梗沿革誌」(8)第一章 桔梗村開拓の由来 第四項 宝 皇 寺
画像はクリックして拡大できます 第 四 項 宝 皇 寺 開拓と教化とに多大の努力を傾注し、現在の基礎を築いた東本願寺別院宝皇寺は、安政六年巖如上人の開基によるものであるが、本院から勤番を置いて移住民を教導してきたが、後に箱館奉行小出
開基百年記念「桔梗沿革誌」(7)第一章 桔梗村開拓の由来 第ニ項 移民の保護とニ大事業 ~ 第三項 桔梗村の獨立
第ニ項 移 民 の 保 護 と ニ 大 事 業 次に居住民に飲料水を供給するために、給水溝を掘る事、並びに交通運搬の便を計るために、道路を開墾する事を計画、これを開拓当初の二大事業として、東本願寺は工費三百九十両一分(御別院日記による)を投じて、念仏沢及び
開基百年記念「桔梗沿革誌」(6)第一章 桔梗村開拓の由来 第一項 桔梗野開拓 ~ 第ニ項 移民の保護とニ大事業
画像はクリックして拡大できます 第一節 東本願寺の桔梗野開拓 第一項 桔梗野開拓 ~ 第ニ項 移民の保護とニ大事業 又、安政六年十二月の戸口調査によれば、永住七十九人のうち、男四十人、女三十九人、出稼ぎ六人であったが、翌、万延元年(1860年)桔