画像はクリックして拡大できます開基百年記念「桔梗沿革誌」(10) 第六項 サ イ ベ 沢 遺 蹟 広大な亀田平野を背にし、盡(つ)きることのない自然の宝庫で山の幸に恵まれ、前面はアサリ、ホッキ等の貝類を始め魚類、海獣などの海の幸が豊かであって大自然と共に生
亀田村
開基百年記念「桔梗沿革誌」(9)第五項 比 遅 里 神 社 桔梗村地名の由来
画像はクリックして拡大できます 第五項 比 遅 里 神 社 比遅里神社は安政五年(1858年)の創立で、神体は聖徳太子の絹絵図であって神体の出所は現在も不明であるが、おそらくは東本願寺であろうと言われている。 毎年九月二日宵宮祭、三日に本祭を行ってい
開基百年記念「桔梗沿革誌」(5)第一章 桔梗村開拓の由来
画像はクリックして拡大できます 第一節 東本願寺の桔梗野開拓 第一項 桔梗野開拓 蝦夷地が松前家より移って幕府の直轄となり、政治の中心が福山(現在の松前)より箱館に移るようになった頃、東本願寺は仏教の伝播の遅れている蝦夷地の布教の方法を通常
開基百年記念「桔梗沿革誌」(2)巻頭文
ご 挨 拶 桔梗開基百年記念協賛会長 上野金吾 この度私どもの郷土である桔梗村が開村百年を迎えるにあたって、開基百年祭を盛大に挙行したらどうかという話が持ち上がり、桔梗開基百年記念協
桔梗町(函館)の歴史
函館は、昭和41年に銭亀沢村を合併し、48年には亀田町を合併して、面積348平方キロメートル、人口30万人余の都市になった。桔梗町の名は古来、桔梗の花がたくさん群生したところからがついたといわれる。 (写真は西桔梗の「もりたの池」です)