画像はクリックして拡大できます 第五項 比 遅 里 神 社 比遅里神社は安政五年(1858年)の創立で、神体は聖徳太子の絹絵図であって神体の出所は現在も不明であるが、おそらくは東本願寺であろうと言われている。 毎年九月二日宵宮祭、三日に本祭を行ってい
桔梗沿革誌
開基百年記念「桔梗沿革誌」(8)第一章 桔梗村開拓の由来 第四項 宝 皇 寺
画像はクリックして拡大できます 第 四 項 宝 皇 寺 開拓と教化とに多大の努力を傾注し、現在の基礎を築いた東本願寺別院宝皇寺は、安政六年巖如上人の開基によるものであるが、本院から勤番を置いて移住民を教導してきたが、後に箱館奉行小出
開基百年記念「桔梗沿革誌」(7)第一章 桔梗村開拓の由来 第ニ項 移民の保護とニ大事業 ~ 第三項 桔梗村の獨立
第ニ項 移 民 の 保 護 と ニ 大 事 業 次に居住民に飲料水を供給するために、給水溝を掘る事、並びに交通運搬の便を計るために、道路を開墾する事を計画、これを開拓当初の二大事業として、東本願寺は工費三百九十両一分(御別院日記による)を投じて、念仏沢及び
開基百年記念「桔梗沿革誌」(6)第一章 桔梗村開拓の由来 第一項 桔梗野開拓 ~ 第ニ項 移民の保護とニ大事業
画像はクリックして拡大できます 第一節 東本願寺の桔梗野開拓 第一項 桔梗野開拓 ~ 第ニ項 移民の保護とニ大事業 又、安政六年十二月の戸口調査によれば、永住七十九人のうち、男四十人、女三十九人、出稼ぎ六人であったが、翌、万延元年(1860年)桔
開基百年記念「桔梗沿革誌」(5)第一章 桔梗村開拓の由来
画像はクリックして拡大できます 第一節 東本願寺の桔梗野開拓 第一項 桔梗野開拓 蝦夷地が松前家より移って幕府の直轄となり、政治の中心が福山(現在の松前)より箱館に移るようになった頃、東本願寺は仏教の伝播の遅れている蝦夷地の布教の方法を通常
開基百年記念「桔梗沿革誌」(4)回顧録
◇ 婦人の内助の功について 以上のような環境の中で、当時の方々はまだ若い方々が多かったと想うのであるが、良く夫につかえたとのことである。 開拓の希望を抱いた男ばかりでなく、婦人のこのような進取の気性に富んだ内助あってこそ、今日の桔梗の栄えある歴史が打ち
開基百年記念「桔梗沿革誌」(3)回顧録
画像はクリックして拡大できます 回 顧 録この沿革誌を編纂するに際し、まず100年の当初を偲ぶために村内の古老10氏にご来席を求めたが、国道工事その他の都合で次の3氏のご出席しか得られなかったが、この3氏により次のような先人の労苦を偲
開基百年記念「桔梗沿革誌」(2)巻頭文
ご 挨 拶 桔梗開基百年記念協賛会長 上野金吾 この度私どもの郷土である桔梗村が開村百年を迎えるにあたって、開基百年祭を盛大に挙行したらどうかという話が持ち上がり、桔梗開基百年記念協
桔梗開基百年祭記念協賛会発行「桔梗沿革誌」の掲載について
平成31年1月、桔梗在住の松本さんより標記の郷土史料の存在について教わり、更にご親切にその貴重な書物をお借りすることができた。この「桔梗沿革誌」は桔梗開基百年を記念して昭和33年9月に刊行されたもので、編纂にあたり各関係機関の協力を仰ぎ当時として可能な
もりもり食堂1周年
宝皇寺で毎月行われていた子ども食堂「元気もりもり食堂」は去年7月に始まり、この8月25日(土)一周年記念の特別企画を行った。初めに「おこりじぞう」を鑑賞した。そのあと、セルフサービスのハンバーガーショップ自分で、パンにはさむ綿あめも作ってみるたこ焼きはス