函館市桔梗町会

「きれいな町・住みよい町・助け合う町」

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桔梗町は函館市の北の端に位置し、その地名は古来、桔梗の花がたくさん群生したところからついたといわれる。

桔梗沿革誌

 開基百年記念「桔梗沿革誌」(22)第二章 桔梗村の産業 産業の推移◎ 第三節 中の沢開拓農業協同組合画像はクリックして拡大できます     横津の山麓、函館をはるかに望む中の沢地区は、もと々園田牧場の荒廃地だった。終戦を迎えた軍人は続々故郷へ帰ってきたが、狭い
『開基百年記念「桔梗沿革誌」愈々最終章です』の画像

開基百年記念「桔梗沿革誌」(21)第二章 桔梗村の産業◎ 第二節 亀田村農業協同組合     亀田村農業協同組合は有限責任桔梗信用組合より発達し現在に至ったのである。  大正四年当時赤川村に於いて、渡島支庁梅崎属の信用組合設立奨励協議会があり、当村より小学校長清
『桔梗開基百年記念誌「桔梗沿革誌」(21)』の画像

画像はクリックして拡大できます◎第五項 農機具の変遷  古老の言によれば、開拓当時は鍬(くわ)、鋤(すき)による腕の工作であり相当の腕ききの者であっても一日で五畝(うね)位が最高であった。  明治八年北海道開拓使によって現七飯町に七重勧業試験場を置くに当って
『開基百年記念「桔梗沿革誌」(20)第二章 桔梗村の産業』の画像

 ◎ 第一節 産業の推移      第三項 大根と白菜画像はクリックして拡大できます      大   根     明治四十一年十月に桔梗駅より蘭越駅に一車を移出し好評を得て更に一車を追加した。これが桔梗大根を移出した最初であると云われている。その数一万五千本であ
『開基百年記念「桔梗沿革誌」(19)第二章 桔梗村の産業』の画像

     第 五 節   鉄 道 の 開 通 と 郵 便 局     第一項 新 旧 国 道  旧道については何時頃に開削されたかは詳かではないが古しいは凡そ河川の最も浅い箇所を選んで歩いたとと思われる。  嘉永六年、五十嵐義度の蝦夷絵図によれば亀田村(今の函館市八幡町学芸大
『開基百年記念「桔梗沿革誌」(14)第五節 鉄道の開通と郵便局』の画像

画像はクリックして拡大できます     第 四 節   園 田 牧 場 と 場 主 実 德   昔は各村に於いて共同牧場を設け自由に牛馬を飼育していたが、明治八年開拓使が現在の七飯町に七重勧業試験場を置くにあたって、別に桔梗野に約百五十万坪の土地をみつけ、その附属牧羊
『開基百年記念「桔梗沿革誌」(13)第四節 園田牧場と場主実德』の画像

 画像をクリックで拡大できます桔  梗  小  学  校                                                                             明治十五年五月二十二日亀田郡書記、素木真龍氏、桔梗村総代中沢伝助、松本兵七、田中半兵衛
『開基百年記念「桔梗沿革誌」(12)第三節 桔梗小学校の開校』の画像

「桔梗沿革誌・三軒家の開拓」での偉業を讃えた福田和助翁記念碑福田和助翁記念之碑は写真奥赤い鳥居の右奥にある画像はクリックして拡大できます  「桔梗沿革誌・三軒家の開拓」で福田和助翁の開拓における偉業とその徳を讃えた記念碑の存在を知り早速探してみた。  その
『西桔梗・福田和助翁記念之碑探訪』の画像

画像はクリックして拡大できます             第二節 三 軒 家 の 開 拓  本村の穀倉地帯といわれている三軒家、その名の如く明治十七年秋田県釋迦内村から福田和助(嘉永四年生れ)が、翌年親戚関係にあった福田作助、福田幸吉が北海道にあこがれて渡道され、道南の
『開基百年記念「桔梗沿革誌」(11)第二節 三軒家の開拓』の画像

画像はクリックして拡大できます開基百年記念「桔梗沿革誌」(10)     第六項 サ イ ベ 沢 遺 蹟  広大な亀田平野を背にし、盡(つ)きることのない自然の宝庫で山の幸に恵まれ、前面はアサリ、ホッキ等の貝類を始め魚類、海獣などの海の幸が豊かであって大自然と共に生
『開基百年記念「桔梗沿革誌」(10)第六項 サイベ沢遺蹟』の画像

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