開基百年記念「桔梗沿革誌」(22)第二章 桔梗村の産業 産業の推移
◎ 第三節 中の沢開拓農業協同組合
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  横津の山麓、函館をはるかに望む中の沢地区は、もと々園田牧場の荒廃地だった。
終戦を迎えた軍人は続々故郷へ帰ってきたが、狭い国土に帰っても国内では両手を
拡げて迎えるだけの力がなかった。
  北海道は未開の土地が多く、これから発展を期待されてる所である。
  政府では国策として旧軍人や海外引揚者対象に未開地に開墾の鍬を入れさせ、一
つは開発に一つは職を与えるという一石二鳥をねらって北海道の全域の未開地に希
望者を募り入植させた。
  ここ桔梗中の沢にも当初(昭和二十年十二月)二十八戸の入植を見た。入植者の
大部分は終戦時、函館市千代ヶ岱町にあった七一部隊の兵隊であった。当時今更故
郷に復員しても生活のあてがないと銃を鍬に持ち変えた者が多かった。大部分が二
十五歳前後の若者たちだけに協同精神が旺盛だった。
  前に述べたように、この地方は園田牧場の荒廃地だったので笹ヤブや岩石ばかりで、
鍬の歯がそり返るばかりであり、その労苦は他の開拓部落と同じように並大抵では
なかった。
  入植早々共同でバラックを建て、二年目には山から木を運び、それを電柱として建
て、電気を引っぱった。又、菜種や麦を加工して製粉油を作る共同加工場を建設し
た等、部落民全員の団結の賜であった。
  かくして現在三十一戸、一九〇名が定着するようになった。
  慣れない開墾の鍬を取り十余年の辛酸をなめた開墾農民の一団が、今では既存農家
と同様の経営となり、一戸平均三町乃至五町の畑を耕作し、馬鈴薯生産は反収五十
俵という成績を収め、酪農経営も乳牛三十頭、緬羊三十頭、豚六頭、山羊二頭、鶏
千羽を飼育するに至った昭和三十年には公民館をブロック建てとし神社もブロック
建てとした。

  中の沢分校誕生
  
  昭和二十五年九月、通学距離の関係等から中の沢三十五番地に一教室を設け、桔梗
小学校只良沢分教場が設置された。一年生から三年生まで収容し、開港当時の児童
数は十一名であり石倉教諭が赴任された。
  年を経る毎に児童数も増し校名も桔梗小学校中の沢分校と改め、昭和二十九年に塩
越教諭を迎え、ついで昭和三十三年四月、二教室を増築し、本校通学の四年以上を
収容し、本校より山田教諭を迎え児童数六十七名となった。

◎ 第三章   補  遺

  ● 牛舎とサイロ

  園田牧場で牛馬を飼育していた当時、本村では農業を主とし牧畜までには手を出し
得なかったが、戦後打ち続く冷害から何とか抜け出ようとし、この乳牛に力を注ぐ
ようになり、近頃ではサイロが立ち並び乳牛が年々数を増し昭和二十七年には十五
頭であったのが現在では八十頭を超える数までにのぼっている。

  ● 旧  家
  
   近江氏(現生駒診療所)の宅は本村最古のモダンな家屋であったがそれと対照的
な純農村的最古の建物が佐々木敏夫氏の家屋である。
  既に六十年間、幾度かの風雨にもびくともせず、いまだに昔のままの姿を留めてお
り、当時の建築技術の高度なことを知ると共に、旧家として現存していることに対し、
歴史を知るためにも喜びを感ずるものである。

  ● 苗  圃
  
  明治の末期に森林造成の目的をもって若松仁蔵氏が秋田杉を主体とした苗圃経営を
始めた。その後渡島支庁は、桔梗奨励苗圃を設置して杉、落葉などの優良苗木を生
産して人工造林に貢献している。

  ● 赤線佐々木製材工場
  
  工場の創立は昭和二十五年二月で、本村唯一の製材工場として存在している。工場
の前には原木が山と積まれ、工場からは製材する機械の音がリズム的に流れている。
製品は建築用材、マクラギ、リンゴの箱板等が主で、販路は主に函館市内及び隣村で
リンゴ箱板は弘前方面である。
  
  歴代の戸長・部長・区長・駐在員運営会長
  
  1名主 松本勘十郎、2 戸長 上杉 清水清盛、3 総代 中沢伝助、松本兵七、川井三
之丞、北山七三郎 4 部長 西田惣三郎、藤谷栄吉川井藤吉、寺島紋太郎、佐々木又次
郎 5 区長 佐々木久松、藤谷栄吉、青島芳太郎、川井藤吉 6 部落会長 佐々木善松
7 公区駐在員、佐々木善松、土井勝雄、上野金吾 8 部落運営会長 上野金吾

  ◎ 村政に尽くされた本村選出の村会議員
  
藤谷栄吉、宮原末吉、佐々木久松、寺島紋太郎、西田外次郎、上野金吾、守田岩雄、
川井藤吉、檜山勝次、近江孫三郎、松本源四郎、佐々木善松、武芳彦、川井米太郎、
福田与一郎(現)、守田武雄、佐々木勇作、川井長次郎、土井勝雄(現)、藤谷久
三郎(現)、川井藤五郎、丸山政五郎、松尾政義(現)、佐々木敏雄(現)

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   あ と が き
   
   安政六年四月東本願寺二十一世大谷光勝上人が信徒二十一戸六十三名を移住させて
開拓の鍬を入れてから今年が丁度百年目に当たるので本年四月桔梗開基百年記念協賛
会を結成し、記念事業として桔梗沿革誌を発行することになり、その編纂をする委員
会が設置され百年の沿革を記録するについて、開拓当初の記録が安寧山宝皇寺に所蔵
されてあったが、昭和二十二年二月に焼失、今は全く文献がなく編集者も困惑したも
のであった。東本願寺北海道開教誌、明治十六年一月の桔梗小学校沿革誌、亀田郷土
誌、函館図書館の蝦夷日誌などによって、その手がかりを得、村内の七十才以上の古
老等にその往時を聴取して記録し、桔梗百年の歴史を各般に亘り調査したのであるが、
編纂の各委員も本業の片手間にこの大任を遂行することは全く困難なことであった。
  従って取材については必ずしも満足すべきものではないが、編纂の要点は、読者の
べ便宜を考え、百年の足どり的に編纂した次第であります。
  この編纂の直接衝に当たられた桔梗小学校の二間、永田、石倉先生、写真担当の小
川康男氏並びに山岸委員その他の委員のご努力、更に資料を提供して下さった宝皇寺、
その他の諸団体に対して深甚なる感謝を申し上げます。
  只、我々編纂者として一番心配するのは、十二分の調査を行うことが出来なく、従
って脱漏の点もあり、不十分の点もあり、表現も亦充分整わない点があることと思い
ます。  この点について識者各位のご了承を戴きたいと存じます。
                                                                                    (三十三・八・三〇 土井記)
                                 
 ◎ 今回をもって本書の全てを採録掲載が終了しました
本書の巻末には「開基百年記念表彰者名簿」「桔梗開基百年記念協賛会役員名簿」
が掲載されております。この名簿については敢て掲載しませんでしたが、本記念誌
刊行に関わる大勢の功労者の氏名は重要と考え名簿の書影を下に掲載しました。
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◎ 『桔梗沿革史』全ページは本ブログで閲覧できます

1 開基百年記念誌「桔梗沿革誌」(1)
開基百年記念「桔梗沿革誌」(8)第一章 桔梗村開拓の由来 第四項 宝 皇 寺 
10 開基百年記念「桔梗沿革誌」(10)第一章 桔梗村開拓の由来 第六項 サイベ沢遺蹟
11 開基百年記念「桔梗沿革誌」(11)第二節 三軒家の開拓
◎ 
福田和助翁記念之碑探訪(西桔梗)三軒家の開拓での偉業を讃えた記念碑
12 開基百年記念「桔梗沿革誌」(12)第三節 桔梗小学校の開校
14 開基百年記念「桔梗沿革誌」(14)第五節 鉄道の開通と郵便局
15 開基百年記念「桔梗沿革誌」(15)第二項 桔 梗 驛 の 開 業 と 日 本 通 運
開基百年記念「桔梗沿革誌」(16)第二項 桔梗驛の開業と日本通運 日本通運桔梗営 業 所
18 開基百年記念 第二章 桔梗村の産業 ◎ 第一節 産業の推移 第一項 開拓の當初
19 開基百年記念「桔梗沿革誌」(19)第二章 桔梗村の産業
20 開基百年記念「桔梗沿革誌」(20)第二章 桔梗村の産業◎第五項 農機具の変遷
21 開基百年記念「桔梗沿革誌」(21)第二章 桔梗村の産業 ◎ 第二節 亀田村農業協同組合